“Hula is the language of the heart, and therefore the heartbeat of the Hawaiian people.”
(フラは心の言葉である。すなわち、ハワイの人々の心臓の鼓動そのものなのだ。)
第7代ハワイ国王、デイヴィッド カラカウアの言葉です。
カラカウア王が在位した19世紀のハワイは、欧米から来たキリスト教宣教師たちの影響を大きく受けた時代でした。
それまで代々受け継がれてきたハワイの文化が「先住民の野蛮な風習」とされ、ハワイ語を話すことや公の場でフラを踊ることが禁止されました。
ハワイの文化にとっての暗黒時代とも言われています。
自分たちの文化がないがしろにされている状況に心を痛めていたカラカウアは、イオラニ宮殿で行われた自分の戴冠式に、それまで弾圧されていた多くのクムフラたちを招きフラを華々しく踊らせました。
これをきっかけに、一度は消滅の危機に瀕していたフラが息を吹き返しました。
文字を持たなかったハワイアンは、自分たちの歴史、自然への崇拝、王族の系譜などあらゆることを文書で残す代わりに、オリ(詠唱)にして口承で代々伝えてきました。
そのオリに踊りをつけたものが、フラというハワイの伝統文化です。
カラカウアの言葉には、自国の大切な文化を弾圧された無念さ、悲しさが込められたハワイアンの魂の叫びが込められているように感じます。
私とフラとの出会い
私のフラとの出会いは、旅行先のハワイでのことでした。
ホテルのラウンジで美しいフラダンサーが踊っていた、ゆったりと流れるような動きの踊りを見た時「フラってなんて優雅な踊りなんだろう!」と感激したのを今でもよく覚えています。
ハワイアンソングのメロディに合わせて踊るダンサーの腰の動きは、風にそよぐ椰子の木のよう、柔らかい手の動きは海辺のさざ波のよう、夢見るような表情は美しく咲く花のようでした。
それまで、ココナッツブラと腰みのをつけて、打楽器の早いビートに腰を振る賑やかなダンスをフラだと思い込んでいた私にとって、はじめてこの目で見たフラの優雅さは衝撃的でした。
しかし、この一連の出来事には“オチ”があるんです。
実は、後になって私がフラだと思っていたのは“タヒチアンダンス”だったんですね(苦笑)。
その数日後、フラカヒコ(古典フラ)を見る機会に恵まれました
年配のクムフラ(フラの師匠)が唱えるチャントに合わせて、シンプルな衣装をつけた若いハワイアンの女性が踊るフラは、ホテルのラウンジで見たフラとはまったく違った雰囲気でした。
ダンサーの表情は笑顔ではなく、神妙な面持ちです。
膝を深く曲げ、腰を低くした体勢で大地をしっかりと踏みしめるようなステップ、古武道にも通じるようなハンドモーション。
ハワイ語のチャントの内容は理解できなくても、神聖でスピリチャルな踊りだということはよく伝わってきます。
「ロマンチックで優雅なだけじゃなくて、こんなに厳粛な踊りもフラなのね!」
私は、フラの奥深さにすっかり魅せられてしまいました。
これをきっかけに、私は、地元のフラ教室に通うようになりました。
そして指導者となった現在に至るまで、ずっと飽きることのないフラの魅力にとりつかれています。
フラとの出会いから20年以上もの時が流れました
私も(みなさんと同じく)フラを習いはじめた頃は、振りを覚えるだけで精一杯でした。
けれど、だんだん慣れて余裕が出てくると「歌詞の意味をもっと深く知りたい、ひとつひとつのモーションの意味を細かく知って踊りたい」という気持ちがどんどん強くなっていきました。
「ハワイ語の単語ひとつひとつの意味を理解しながら踊れたら、もっと楽しく、楽に踊れるのではないかしら?」とハワイ語講座に通ったり、辞書を引きながら自力でハワイ語の歌詞を日本語に訳してみたり。
ハワイ語教室や、フラ以外の文化や歴史のセミナーに参加するのも楽しくて仕方がありませんでした。
「勉強しなければいけない。知識を増やさなければいけない。」という気持ちではなく「大好きなフラやフラを生んだハワイという土地のことなら、何でも知りたい、見たい」という想いがどんどん高まっていきました。
そしてフラをはじめて数年後には、ハワイの先生に直接、ご指導をいただく機会にも恵まれました。
日本人がフラを学ぶということ
日本の風土、文化から生まれたのが「日本舞踊」であるように「フラ」は、ハワイの大地、自然、人々に強く結びついた伝統文化です。
フラを踊るということは、ハワイそのものを表現することでもあります。
フラ=ハワイと深く結びつくことなのです。
そうであるがゆえに、日本にいながらつねにハワイを感じ、それを自分の踊りに反映させることはたやすい事ではないかもしれません。
ですが、そんなときこそ私は思うことがあります。
私たちのふるさと日本も、ハワイに劣らず自然の美しい国です。
私たちにその自然の美しさを愛でる気持ち、また家族や友人との繋がりを大切に思う気持ちがあれば、ハワイアンのようなフラが踊れると私は信じています。
なぜならフラは、歌詞の意味を表現するだけでなくダンサーの心のうちや感情が現れるものだからです。
フラの国の歴史、伝統、文化を学ばせていただくということ
これまでフラを学んできた過程において、私は幾度となく“ハワイのフラ”と“日本のフラ”との間の“見えない高い壁”のようなものを感じてきました。
ハワイの人たちにとってのフラは、好き嫌い以前に“アイデンティティ”であり、当たり前のように次の世代へと継承していくものなんですね。
やはり伝統文化というものは、そこに代々住んでいる人々の中で受け継がれていくものです。
そして、フラも代々ファミリー内で継承されるもので、外部の人間に教えられるものではありませんでした。
そのため本場のフラには、私たち日本人が習いごととして踊るフラには伝わっていないものがあると、私は感じてしまいます。
ハワイに隠された踊りや言葉といったものではなく、何か“別のもの”ような重みや気品、表情があります。
だからこそ“他の国の大切な伝統を学ばせていただいている”という謙虚な気持ちを忘れてはならないと、私はつねに心に留めています。
代々ハワイに住む人たちが大切にしてきた伝統文化を尊重し、外国人が踏み込んではいけない部分もあるということは、つねに意識していたいと思っています。
そして、そのように誠実に真摯にフラに向き合っていけば、フラの神“ラカ”に受け入れていただけるのではないかと願っています。
ナーリコオカパライがめざすフラとは?
フラの楽しさは、綺麗な衣装を着てステージで踊る楽しさや、身体を動かして得られる爽快感だけではありません。
むしろそれらは、フラで得られる楽しさの表面的な一部分であって、本当の喜びはもっと内面的なところにあると考えています。
フラを通して感じられる自然との一体感、フラシスターたちと協力しながら成長していく過程で得られる充実感は、毎日の生活に喜びと輝きを与えてくれます。
「辛いことがあってもフラがあるから頑張れる。落ち込んでいてもフラシスターたちとレッスンで汗を流すと元気になれる。」
そんな声を、よく生徒さんから耳にします。
年齢も職業も環境も違う人たちがナーリコオカパライで出会い、フラファミリーとしての絆を育んでいく。
そこには、血の繋がった家族とはまた違った心地よさがあります。
私は当スタジオを通して、フラシスター同士が助け合い、時には困難を乗り越え、ともに歩む過程で得られる喜びや幸せを味わって欲しいと思っています。
そして当フラスタジオ「ナーリコオカパライ」は、ダンススクールの枠を超えて、フラという絆で繋がったオハナ(家族)であり、生涯にわたる仲間と出会える場でありたいと願っています。